[母]まる三ヶ月



まいど。
おちえさん!



どう?
極楽?
少しは慣れた?






極楽にも
デパートあった?
カードなくても
買い物できるのかな??
(笑)






未だに
いろーーんなお店から
セールの案内とか届くヨ。
おちえさん宛に。
















いつか
別れが来るとは思ってたけど
こんなカタチで
それもあんな悲惨な容態で
最後を見送ることになるなて
思ってもみなかったヨ。








やっぱり
死因が納得いかないし・・・。
どうして
おちさんが
こんな病に侵されたのか
まったく原因が
わかんないままだし・・・・。
亡くなる
1週間前の
定期健診で
主治医の先生に診ていただいて
レントゲンまで撮って
とことん調べてもらって
OKって言われてたのに・・・。








今更
何を言っても仕方ないんだけど。
そんなことわかってるんだけど。








でも、そういうコトが
ふっきり切れてないのか・・

それに
12月に入ってからの
あの苦しみやもがきや叫びが
未だに脳裏によぎるヨ
おちえさん。




おちさんの寿命だったんだ
コレが。と
思うようにしてるんだけど。







泣いてたもんネ。
苦しくて。
叫んでたもんネ。
辛くて。
必死で闘ってたのにネ。






たまに
あの時の
光景が突然
フラッシュバックしたりして
たまらなく苦しくなったり
してるんだよ
今でも。



















2011年
何か新しコトを試みないと・・・
今の先生だけにまかせてても・・
と、そんな時
友達を通してステキな先生を
紹介していただき、
その先生と東京で会ったのが
1月11日







本当にステキな先生で
兵庫県まで行きますよ!
と言ってくださった
まさにその時

母親が危篤という電話が鳴る。
あと、2,3時間しかもたないと。




あの電話があったとき・・
立ってられなかった
吐きそうになってた。






20:50発ののぞみに飛び乗り
東京駅から新大阪へ向かったのが
遠い遠いむかしのように
思えるんだけど、
でも、まだ3ヶ月前のことなんだよネ。


長かった
あの東京から新大阪までの道のり。







新大阪からタクシーで
病院へ向かったときは
もう深夜。







先生や看護師さんは
もう意識がないから・・・って
言ってたけど、
僕は信じてる!!


おちえさんはちゃんと
意識があって
しゃべれなかったけど
僕が話をしてることは
全部わかってるって。



病室でみた
変わり果てた母親をみたときは
泣き崩れそうになったけど、
ぜったいに助けてなきゃ!って
思ってたから
泣くことなんて忘れてた。




だめだって言われてから
8時間ほど・・・
僕がたどり着くまで
本当によく頑張ってくれたヨネ。



会話はできなかったけど、
生きててくれてほんとに嬉しかった。


でないと・・
一生後悔してるヨ。





昨日は
おちさんが
永眠したその時間まで
起きてました。




3:11 a.m.








3ヶ月が過ぎ・・
半年が過ぎ
1年が過ぎ
どんどん
そうやって
時間が流れていくんだよネ。

これからも。



生まれたからには
皆100%死ぬわけで・・・



















いやいや
ほんとに
無常デス。






とにもかくにも
ボクは今
生きてます。



おちえさん!


あの世での再会を
楽しみに
しばらく
この世を満喫してくるネ。
(笑)